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府中市は、大化の改新により武蔵国の国府が現在の府中に置かれてより、平安・鎌倉・江戸から現代まで、長い歴史の波を超えてきました。
「おすすめコース」以外にも、市内には歴史や文化の息吹を感じられる、さまざまな見どころが数多くあります。
『府中伝説の道』は、それら府中南部の古寺社や旧跡をめぐりながら、府中の歴史や伝説の道をたどるコースです。
伝説の道をたどりつつ、古き府中に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
高安寺(こうあんじ)
室町幕府の将軍足利尊氏(1305〜1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされる古刹。 高安寺には源義経と武蔵坊弁慶がこの地に居住した折り、大般若経を書き写すために、境内にある井戸の水で墨をすったという伝説があり、今も「弁慶硯の井」と呼ばれる古井戸跡が残っています。曹洞宗。本堂・山門・鐘楼・観音堂は東京都選定歴史的建造物に指定されています。
長福寺(ちょうふくじ)
正しくは古木山諏訪院長福寺。じしゅう時宗。寺伝によれば、寛喜2年(1230)天台宗として創建した古刹で、はじめは勝福寺と称しました。その後、正応年間(1288〜1292)に遊行二祖真教の武蔵国巡化の際に時宗遊行派に改まったといわれています。 境内からは中世のいたび板碑が多く出土し、古寺であることを物語っています。
高札場(こうさつば)
江戸時代、幕府からごはっと御法度、おきてがき掟書、犯罪人の罪状などを一般庶民に通達する方法として、板に書き示して街道沿いの宿場や橋のたもと、村の名主宅前など人目に付きやすい場所に掲げたものを「こうさつ高札」といい、これを掲げた場所を「高札場」といいました。これに似たものはすでに室町時代からありましたが、通達の体制や場所の整備が行われたのは江戸時代に入ってからで、盛んに利用されました。
善明寺(ぜんみょうじ)
天台宗。正しくは悲願山善明寺。建長5年(1253)国分寺くろがね黒鉄やと谷戸の刀鍛冶、藤原助近作の「大鉄仏阿弥陀如来坐像」及びその胎内仏とされる「小鉄仏阿弥陀如来立像」が寺宝として安置されています。共に国指定の重要文化財です。墓地には依田伊織や勤王の志士西園寺実満が眠っています。
称名寺(しょうみょうじ)
寛元3年(1245)、道阿上人一光大和尚開山の古刹。じしゅう時宗。寺伝によれば、六孫王経基が武蔵介であったときの館跡といわれています。境内の地蔵堂はひぎり日限子育地蔵尊をまつり、近隣の信仰を集めています。
オリンピック競歩折返記念碑
昭和39年(1964)、アジアで初めて開催されたオリンピック第18回東京大会。その50キロ競歩競技の会場となった甲州街道沿いに、参加選手の栄誉をたたえて建てられたものです。当時の10月18日は、小雨ふる肌寒い日でした。
下河原緑道(しもがわらりょくどう)
昭和51年9月に廃線となった旧国鉄下河原線の跡地を利用して、自転車・歩行者専用道として整備したものです。下河原線の前身は、明治43年多摩川の砂利運搬を目的に開通した東京砂利鉄道でした。緑道の一部には、かつてこの道が鉄道であったことを示す2本のレールが、路面に埋め込まれて今も残っています。多摩丘陵を臨み、田園風景の中を走るこの道は、四季折々の花や木を楽しむことができます。
妙光院(みょうこういん)
歴史は古く、貞観元年(859)眞如法親王の開山と伝えられています。真言宗の名刹で、戦国時代には八王子城主の北条氏照も帰依し、氏照から寺に宛てられた2通の礼状も残っています。また徳川家康からは御朱印地15石を寄進されるなど、時の有力者の信仰あつい寺であったようです。寺の北側には境外仏堂として金毘羅堂がまつられています。
安養寺(あんようじ)
貞観元年(859)慈覚大師の開山と伝えられる古刹。天台宗。「化狸ものがたり」の伝説で知られています。昔、等海僧正という高僧のもとに、正体をかくして仕えていた狸の筑紫三位という弟子がいました。正体を知られてしまった狸は、等海僧正と別れる時に、狸の三位が三千年の間仏の教えを書きとめた書を等海に差し上げました。この書は今も安養寺の寺宝として残っています。
普門寺(ふもんじ)
正しくは大悲山清涼院、本町にある妙光院の末寺です。真言宗。本堂は、以前この地にあった西蓮寺の薬師堂とのことです。普門寺の薬師様は「目の薬師様」と知られ、毎年9月12日の縁日には「お目玉」を受けにやってくる大勢の人でにぎわいます。
国府八幡宮(こくふはちまんぐう)
大國魂神社の境外末社。聖武天皇(在位724〜749)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられる古社で、八幡町という地名の由来ともなっています。今もうっそうとした林が神社を取り囲み、荘厳な雰囲気をかもし出しています。
三千人塚(さんぜんにんづか)
元弘3年(1333)に戦われた分倍河原合戦の戦死者3千人を埋葬した塚といわれていました。昭和30年の発掘調査では、火葬骨を納めた4個の骨壷が発見されています。また、塚の上には阿弥陀三尊を刻んだ大きないたび板碑が立っており、板碑には合戦以前にあたる鎌倉時代中期、康元元年(1256)の記年銘が読み取れます。
東京競馬場(とうきょうけいばじょう)
日本ダービーで知られる東京競馬場が完成したのは昭和8年(1933)のことです。当時の府中町が建設地に選ばれ、以来数多くの名馬が幾多の名勝負を展開、競馬ファンを楽しませています。競馬場の北側に続く並木道も競馬場開設の時に植えられたものです。この並木道に沿って、競走馬の供養のために建てられた馬霊塔や馬の守り神として信仰されている馬頭観音がまつられています。
井田摂津守是政の墓(いだせっつのかみこれまさのはか)
東京競馬場の第3コーナーから第4コーナーにかけてのカーブの内側に、是政という地名の由来にもなった井田摂津守是政の墓があります。墓地からは鎌倉・室町期の板碑が出土しており、井田氏が古くからこの地の豪族であったことを物語っています。
西蔵院(さいぞういん)
お地蔵さんが小僧に化けて百姓を助けるという美談「鼻取り地蔵」の伝説で知られています。真言宗。延宝3年(1676)、この地に中興。地蔵堂は安永8年(1779)の建立です。
是政八幡神社(これまさはちまんじんじゃ)
天正18年(1590)、高橋兵部丞吉次が京都の石清水八幡宮の分霊を迎えお祀りしたのが始まりと伝えられる古社です。境内には府中の名木百選に選ばれたけやきの大木が悠然と枝を伸ばしています。
毎週木曜日と第1土曜日には、観光案内人ボランティアがご案内する観光ガイドミニツアーも実施しています。
詳しくはパンフレットをご覧下さい。
パンフレットをダウンロードする(PDF)
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